俺、女の子説

これまでずっと、自分がサディストであるという前提でいろんな記事を書いてきた。
実際僕は、女性に責められるのはムカつくだけであって強引にやるシチュエーションのほうが興奮するのは確かだし、その点に関して疑うことはなかった。

ところが最近、実は俺は直接的なサディストではないのではないか、と思い始めた。
直接的な、というところに大きな意味がある。
今回はそれについて考えてみます。


まず、僕が好きなのは「男が女を攻めること」だ。これは間違いない。
問題はここからだ。

最近思い始めたのは、実は僕は女性になりたいんじゃないか、ということだ。
つまり、女を攻める男じゃなく、男に攻められる女になりたいんじゃないか、ということ。

こうなるとかなり話は変わってくる。
そもそもこれだと、SじゃなくてMになるじゃないか!

でもまあ、こう考える理由はいくつかある。

まずはネカマのこと。

チャットで女の子と話すより、女の子になって男と話すほうが楽しかったし、興奮した。
ここでは、「ただチヤホヤされたいだけ」という理由を越えた、特別な快感があった。

ネカマをしていて一番興奮するのは、痴漢やセクハラされた体験談を聞いてもらっているときだった。
僕はそこそこカワイイJKで(てことを暗に伝えて)、聞いて下さいよ! って感じで、いろいろやられた体験談を話すのだ。
愚痴を聞いてくれる相手は心配しながらも、徐々にエロモードになる。
そんなとき「でもちょっと嬉しかったんでしょ……?」みたいなクズみたいなこと言われて、そんなことないです///と否定しながら暗に肯定する、みたいなことを俺はよくやっていた。
「チサト(仮名)が痴漢されたときのこと思い出して……?」って言われながら一緒にオナニーするのだ。相手の男は俺をオカズにチンコをしごく。現役女子高生の俺も一緒にチンコをしごく。なぜか同時にしごかれる二本のチンコ。お互いヘテロセクシュアルなのだから、実に逆説的な光景である。

まあそんなこんなで、ネカマをするとき僕は無意識に「セクハラされる女子プレイ」をやってたのだ。


似たような感じだけど、他にも根拠はある。俺が女の子になりたい根拠
それは、オナニーするとき「かわいい女の子になって恥辱を受ける妄想」がすげー抜けることである。

当初はそれは、僕がサディストで女の子の上に立って攻めることが好きだから、かわいい女の子をはずかしめる妄想が抜けるのだ、と思っていた。
でも改めて考えてみると、僕は攻める男じゃなく、攻められる女の子に感情移入していたのだ。

ヘビロテしているオカズの一つが、ドラマ「ライフ」北乃きいがクラスメイトに下着姿にされて写真を撮られるシーン(これスゲーいい)なのだけれど、
僕はそこで、クラスメイトの男子じゃなくて、北乃きいに感情移入していたのだ。

俺は北乃きいで、優等生の佐古くんに脱がされ、写真を撮られ脅されているのだ。
なんで? ひどいよ佐古くん、こんなことする人だと思わなかった!
そんなとこ撮らないで! 次は何するつもりなの!?
(原作ではパンツオンリーになるのにドラマはキャミまでかよ! ファック!!)

……ふう。
まあ、そう考えるのが一番興奮した。
他にも、恥辱マッサージなど以前語ったシチュエーションでは、実はいつも女の子のほうに感情移入していたのだ。


以上のことから、今回自分についてわかったこと。
僕は女の子になって脱がされたり触られたりしたいのだ。

この事実に気づいた時の僕は光速が不変で時空が可変と考えられることに気づいたアインシュタインがごとしである。
(スゴイひらめきだった、みたいなことが言いたい)

でもなあ。
女装して知らんオッサンとえっちなことするのとか怖いし、それって本質的にゲイになっちゃうからね。あと俺アナルに興味ないからね
じゃあそういうお店に行くしかないのか……? でもそれも恥ずかしいなあ……
もしかしたら俺の究極的な性的充足は、「朝起きたら女子高生になってて、電車や学校で攻められる卑猥な毎日!」みたいなことなのかもしれんね