羞恥感についての考察・2

羞恥感についての考察・1

僕の好きなモノを三つ挙げるとするならば、
・一に強制ストリップ
・ニにエロマッサージ/エス
・三に男女合同身体検査
・四に通風口モンローパンチラ
・五に夏服で雨に打たれるJK
です。あっ五つも言うてしもた

これら五つに共通した要素があります。なにかな?
正解は羞恥心です。
前回の記事を読めばすぐにわかったかもしれないですが、正解は羞恥心です。
羞恥心です。僕の大好きなモノです。

成人式の翌年くらいから、自分の思考を言語化してみようと思い立って、脳内の出来事を拙い文章として抽出していったところ、自分についての理解が深まってきました。
そうしてわかったこと。俺は、女の子が羞恥にあえぐ姿が大好きだ。
詳しくは、過去記事「生まれて初めてした妄想」「登山バスタオルオナニー」や、R-18短編小説「恥辱論」シリーズを読んでもらえればよくわかるでしょう。


羞恥モノが好きな理由について考える。

これは、自分の以下の性質に起因していると考えられます。
・比較的サディストである
・他者に感情移入しやすい
潔癖症である

実はこの三者は互いに相性が悪く、両立しづらいものです。
詳しくは次の図で考えてみましょう。

1. まず、Sだから、相手を蹂躙したがる。
2. すると相手は、痛がったり、汚れたりする。
3. ところが感情移入しやすい(共感覚しやすい)と、相手の苦しみが自分にも同期される。
4. さらに潔癖症だから「汚れる」が耐えられない。
5. いじめてるのに俺が不快じゃん?


だから、僕は「俺の足の指の間を舐めろ」が、言いたくても言えないのです。
このフィードバック機構を、SMフィードバックと命名します。

ところが!
このようなめんどくさい三つの性質を持った僕でも大丈夫なことがあるのです。
つまり、共感覚しやすく、潔癖症な人でも大丈夫な、SMフィードバックを回避したサディズム

そう、それこそが羞恥プレイなのです。

なぜなら、僕は女性じゃないから、おっぱいやケツを見られてもあまり問題はありません。でもチンコはちょっと嫌かな
というよりそもそも、男女では露出の意味合いが異なるのです。
簡単にいえば、女は「見られる」、男は「見せる」、ぐらいの印象の違いがある。
もちろん僕は露出の気はないし見られると不快だけど、社会的には男の露出は男側の非になる。
つまり、男の露出には女性ほどの羞恥感が伴わないのです。

だから羞恥プレイによる精神的蹂躙は、俺には返ってこない。安心して見ていられるのです。

そうして、強制ストリップも、エロマッサージも、男の前での身体検査も、通風口のパンチラも、雨で透けブラするJKも、女の子が苦しんでるけども僕は苦痛を味わわずに、性的興奮だけを享受することができるのです。

だから、僕は羞恥モノが好き。


前回の記事で得た知見をもとに自分の性的嗜好について〜〜って書こうとしたらまったく関係ない内容になってしまった
明日こそ!


つづく!
羞恥感についての考察・3