chatpadというチャットサービス

それは今から5時間ほど前のことである。
勉強に段取りをつけた私は、19時半からの「クレヨンしんちゃん」にあわせて夕食を取るつもりだったので、夕食を作り始めるまで少し時間が余った。

そこで、数年前に少しだけやったことがある「chatpad」に行ってみようと思った。

chatpadが他のチャットと違うのは、完全に匿名な空間で、二人きりで会話をするという点である。
つまり、ランダムに選ばれた一人と、ハンドルネームも無しに二人だけで会話するのである。
もちろん二人が再び合うことはない(メアドなど交換した場合を除く)。

匿名性は最上級のチャットなので、昔の私はたまにchatpadで様々な人間を演じることで憂さ晴らしをすることがあった。
一番よくしたのが、いわゆるネカマである。

ネカマは「ネット」「オカマ」の略で、顔の見えないネット上で男が女を演じるのである。
自分が女性だと言うと、相手の男は急に色目を使いはじめる。
その変貌ぶりが、非常に滑稽である。
私もチャットをするときはネカマに騙されないよう気をつけている。


さて、そんな私は今日、数年ぶりにchatpadネカマすっかと思ったのだ。

ところが一つ驚いた点があった。
chatpadユーザーがまともな人ばっかりになっているのである。

昔、chatpadができた当初は、物珍しさから今よりも賑わっていて、その分「まともじゃない人」が多かった。
私のようなネカマに始まり、いきなり暴言や卑猥な言葉を言って消えるだとか、今よりも相当荒れていたと思う。

それが、まともな人ばかりになっていたのだ。
本来の「見知らぬいろんな人と会話する」ことを純粋に楽しむユーザーばかりになっていたのである。


私が会話したのは、神奈川在住の24歳の男性だった。

自然な流れで、自分が17歳女子高生であると言う。
いきなり言わないのがポイントで、「男?女?」と聞かれてから言うのだ。もちろん年齢も。

また、自分の設定はちゃんと作っておく。矛盾のないようにする。
聞かれなくても、演じている女子高生像をはっきりさせておくことが大事である。


今回私の設定は以下の通り。

・17歳高2女子
・来年センター試験を受験予定
京都市在住
・高校は共学で電車通学
・制服は男女ともブレザー
・一人っ子で父母と三人ぐらし
・父は教師で母は専業主婦
・部活には入っていない
・中学の時に2ヶ月だけ付き合った彼氏がいたがそれからずっと彼氏はいない
桐谷美玲に似ていると言われる
・顔はいいので告白されたりメアド聞かれたりすることはよくある
・でも男子と話すのが恥ずかしく断っている
・ネットでは話せるからとchatpadに来た
・スカートを短くすると、寒いし下着が見えやすくなるしで嫌なのだが、まわりの女友達がみんな短くしているので、合わせて仕方なく短くしている
・Cカップに限りなく近いBカップ
・今日の下着は上下ともピンク

しばらく24歳の彼と話していて、こいつ童貞くせえなって思った。
彼女もずっといないらしい。ビジュアルは及川ミッチーに似ているらしい。

チャットも初めてらしく、おそらくメディアリテラシーに欠けていて、私のようなネカマに騙されやすいのだろう。
一度、顔の写メをアップしようとしてきて、本気で焦った。どうもしないけど。


やっぱりしていて楽しいのは下ネタトークである。
彼氏がずっといないことから
「じゃあ、ちゅうもまだなんだ?」
とか聞かれたり、
「夏場、ブラウスから下着が透けるのって、男子はどう思ってますか?」
って聞いたら
「えろいw」「眼福眼福w」
とか
あと直球だったのが
「おっぱい何カップ?」
ってやつだった。

ところが、そんなライトな下ネタトークをしているうちに、なんと、不覚にも私は興奮してきてしまった。

知らぬ間に女子高生に感情移入して、自分が本当の女子高生みたいな感覚に陥ったのだ。
それで、むっちゃ興奮した。
なんだ、なんなんだこの感覚は。
深夜徘徊していて遠くに人影を見つけた時に似た心臓の高なりである。

そうだ、私は女子高生なんだ。
嫌々スカートを短くして、下着見られるのを嫌がる、桐谷美玲似の女子高生なんだ。
男子のことが知りたくて、でもリアルの男子と話せなくて、だからチャットで知ろうとしちゃう、ちょっとえっちな女子高生なんだ。

アホみたいに興奮した。

最終的には「えっちなとこ触ってみ?気持ちいい?」みたいなこと言われるのを期待していたのだが、そこに至るまでに、話題は思わぬ方向に向かう。

相手の男が
「来月に京都に行くかも」
と言い始め、
「市バス一日乗車券便利ですよ」
とアドバイスしたら
「そのときは案内してよ」
と言われ、
この流れがマズイと思ったので、少し話題を変えて
「なぜ京都に行くんですか」
と聞いたときのことである。
すると男は
「会社辞めて、気分転換したいと思っている」
と言った。

そのとき私は、ああこの人、大変なんだなと思った。
自分のようにのうのうと親のスネをかじって好きな勉強をしている学生とは大違いで、社会に出て働いていて、頑張って社会の荒波に揉まれ、勇敢に戦った結果疲弊して、少し休もうとしている、そんな大変な人なんだなと思ったのだ。
そのときなんと自分があわれに思ったことか。

気づくと私は普通に彼の人生相談に乗っていた。
「今は少し休んで、落ち着いたら無理しない範囲で、頑張ってみてくださいね」
というひどく抽象的なアドバイスをしていた。

自分のような社会に出たことのない若造が言えることは何もなかった。


気づくと我々は一時間以上も会話していた。
最後に彼はフリーメールのアドレスを教えてきたが(メールしないですよと言っているのに)、私はそれをメモするでもなく終わった。

自分がネカマであることは明かさなかった。
だってそれは、言ったところで、双方に益がないと思ったから。
向こうも向こうで童貞くさかったから、女子高生にアドバイスされ、顔がわからずとも遠くから応援されてると思ってもらっておいたほうが、それはいいだろうって思ったから。

このページが彼に見つからないことだけを祈る。


そして、彼の人生に多幸あれと、女子高生の私は遠くからずっと応援している。