雪だるま式のリツイート

ツイッターリツイートというものは大変に身勝手な機能なのです。
リツイートって、どこの馬の骨ともわからない奴が偉そうに語る主観を、さも自分の意見のように発信することができるじゃないですか。ここでは、リツイートした意見が自分の生み出した言葉じゃないというのが極めて性の悪いところ。他人の言葉には、自分の責任は付きまとわない。いやほんとは他人の言葉を借りて行う情報発信に違いないのだけど、リツイートだと、そこに責任の軽はずみが生じてしまう。だから、大して情報を確かめたりせずに、安易にリツイートしてしまう。冷静に見ればものすっごい歪んだ考えだったり、大事なことを除外した極論だったりすることがしばしばあるけれど、リツイッターたちはそれを精査せずに再発信する。恐ろしいことである。

彼らがなぜリツイートするのかというと「自分がその意見に同調したから」だろう。当たり前やけど
ところが、ツイッターの特徴の一つである「字数制限」のせいで、大事な前提条件が除外されたりして、リツイートだと、歪んだ情報に変容してから発信されたり、あるいは故意に歪められて発信されるのだ!

IT革命と呼ばれたネット社会の黎明期には「誰でも情報を発信できる時代になった」と言われた。たぶんそれは、ブログで自分の意見を書きつけて不特定多数に発信できるという意味合いだった。
ところが今ではさらに進んで、他人の意見をさも自分の意見のように再発信するようになった。すると、一つの情報のもつ権力がどんどん拡大していく。人間に内在する無意識的な多数決の原理が当てはまって、支持を得ている意見は雪だるま式に大きくなり、やがてはそれが「世論」になる。

リツイートによって無責任な再発信がはびこると、歪んだ情報や誤った情報が容易に拡散されていく。リツイートを情報発信と意識していない一人ひとりの安易な情報発信で、気付かない間に社会は変わっていくのである。
何やらもっともらしいことを偉そうに語っている奴のツイートに感心して安易にリツイートしてる奴は、そいつがどんな人間なのかちゃんと確かめるべきだ。自分の言葉で意見が言えない浅はかな奴に見えるぞ!

おそらく情報社会の理想型としては、各々がエディターシップを持つことなのだろう。他人の意見を百パーセント複製するのではなくて、引用という形で引き合いに出して、それと対照して自分の意見はこうですよと、責任をもって考えを組み立てていくことだ。最終的にそれが引用した他人の意見と類似しても構わない。大事なのは、流れてきた情報を何の気なしに自分も垂れ流すのでなく、自分で意見を再構築することなのだ。

これはツイッターだけの話じゃないよね。ありとあらゆるSNSが「他人と意見をシェアする」方にシフトしている。2ちゃんねるも、多数派の意見が全体の意見になるという点で同様である(まるで全員が右翼みたいに見えるね!)。おそらくこれからも、ネット上ではこの傾向が続いていくでしょう。その中で、特にネットヘビーユーザーの我々ゆとり世代が、どこまで大衆に飲まれずにやっていけるかである。どれだけ自分の意見を自分の意見として持っていられるかである。

モラトリアム期間にアイデンティティ・クライシスに陥った奴の意見がツイッターリツイートやらフェイスブックのシェアやらばっかりなのは、もはや必然なもののように思える。

ということを、ウンコみたいなやつのなんかそれっぽ〜い発言がアホな大学生にやたらリツイートされてるのを見て思ったのです。まあ逆に言えばツイッターのカラクリをうまく利用できるようになれば世論を操作できるってこともかもしれんね