おっぱいって何だろう

「おっぱい見えた!」って言うとき
おっぱいのどこまで見えたら、見えたっていいんだろうか。
どこまで見えたら、俺はおっぱいを見たぞと言っていいんだろうか……


例えば「おっぱいポロリ」っていう単語を考える。

このフレーズを使うときは、だいたい乳首まで見えたときだ。
「女優◯◯、衝撃のおっぱいポロリ画像!」は、だいたい乳首まで見えてるやつだ。
逆に、乳首が見えてないと「おっぱいポロリ」とはあんまり言わない。

じゃあ、「おっぱい」が「乳首」の必要条件なのか?

つまり、(おっぱい)⊂(乳首)なのか?

そんなわけがない!
だって、乳首はおっぱいのパーツのひとつだろう??

つまり、(おっぱい)⊃(乳首)になるはずだ。

この矛盾の原因は「ポロリ」という言葉のせいだと考えられる。
「ポロリ」のせいでなんかややこしくなっている。


「ポロリ」という語についての考察はおいといて、おっぱいに話を戻そう。

「おっぱい見えた!」の件だけども
ひとつ私の意見として「谷間が見えるかどうか」というのを提示してみたい。

例えば、胸元のあいた服で屈んで谷間が見えたとき。
こういうとき私たちは「おっぱい見えた」と言わないだろうか?

その谷間の見え方にもいくつかパターンがあって、

・完全に乳房のお椀が見えた場合(乳の曲線がわかるくらい)
・両胸の間のスペースが見えた場合(おっぱい自体は見えていなくても)

両極端には以上の二つがある。
後者は夏場に電車で座ってる女性を上から見るとよく見れるよね。

さて、どちらを「谷間(=おっぱい)」と称してよいだろうか?
後者でもおっぱい見えたって言っていいのだろうか?


また、この「おっぱい=谷間」説にはもうひとつ議論が必要な事例があって、
それは、ものすごく胸元のあいた服を着た場合である。

そういうとき、貧乳は谷間が見えないが、巨乳であれば屈まなくても常時谷間が見える(いわゆる叶姉妹状態)。
貧乳では、見かけ上おっぱいが消失してしまう??

そもそもおっぱいとは解剖学的に言うと、
おっぱいを球の一部分と考えたときの、球の接地部分の面積、と言うとおそらく最も近い。
つまり、おっぱいの定義はどちらかと言うと、大きさというより広さ。
そしてその広さはたぶん巨乳も貧乳も変わらない。
ただその接地部分からどれだけ盛り上がっているか、が巨乳と貧乳の分かれ目になるはずなのだ。

ところがこの理論では、その面積自体が貧乳と巨乳で異なることになってしまう。
つまり、谷間が見えていなくても貧乳はおっぱいが見えているはずなのだ。


じゃあさらに別の考え方をしてみる。

おっぱいは見えたら嬉しいものだ。
では、どこまで見えたら一番嬉しいか?

そう考えるとやっぱり乳首だ。
そして乳首を見られたときたぶん女の子は一番恥ずかしい。

あと、なんか乳首になんかシールみたいなやつを貼ればヌードじゃないみたいな風潮がある。脱ぐ前の仲村みう的な感じですね。 

じゃあやっぱりおっぱいって乳首なのか?


結局ちゃんとした結論は出なかった。

おっぱいって何なんだ……