巨乳平面説
アンサイクロペディアで非常に秀逸だと思った記事がある。
巨乳平面説-アンサイクロペディア
これは、巨乳という概念を全く新しい観点から考察した非常に斬新な理論である。
リンク先の記事が非常に秀逸なのでそちらを読んでもらえればよいが、簡単に言うと、
巨乳平面説では、おっぱいの丸みを大きな円の一部と捉える。
(わかりやすい図解がリンク先にあるので参照してほしい)
すると、貧乳ほど曲率が小さいので、円の半径が大きくなる。
つまり、貧乳は超巨大なおっぱいの一部であるという理論である。
この理論を最初に知った時、私は激しく衝撃を受けた。
たしかにそう考えると、本当に貧乳のほうが巨乳なのかもしれないと思ったものである。
ところが、当然ながらこれはただの論点のすり替え、燻製ニシンの虚偽である。
貧乳諸賢、詭弁を語るな。
(なんか森見登美彦っぽい)
こうやって無茶苦茶な理論に騙されそうになったら、まずは物事の本質に立ち返ってみることである。
巨乳はなぜ称賛されるのか。
一体どこが巨乳は貧乳に対して優れているのか。
セックスアピールとしてのおっぱいを考えると、おっぱいの評価指標は「見た目」「揉み心地」の二点に集約する。
(1)見た目 俗に言う「形の良いおっぱい」のこと。
広義には乳首の形も含まれる。やたら乳輪の大きいおっぱいは疎まれる傾向にある。
服を着ているとき、下着(水着)のみのとき、脱いだときという複数のバリエーションがある。
(2)揉み心地
見た目と別の観点で揉み心地というファクターが考えられるが、あまねくおっぱいは最低限の柔らかさを有しているはずなので(それがおっぱいがおっぱいたる所以であるとも言える)、実際にはさほど勘案されないかもしれない。
ここからはやや個人的な好みの話になってくるが、
見た目に関しては、曲率の小さいおっぱいは自分の裸を見るのと同じ、大きいおっぱいこそ女体の象徴である。
揉み心地に関しては、明らかに巨乳が優れている。すべてのおっぱいの柔らかさが均一だと仮定すると、揉める容積の大きい巨乳のほうが有利なのは言うまでもない。
また、パイズリができるかどうかという観点も考えられる。貧乳にはあまりチンコを挟みたいと思わないだろう(現実的に)。
ちなみに、世の中には貧乳信者と呼ばれる者たちがいるが、彼らは貧乳そのものに興奮しているのではなく、「貧乳をコンプレックスと思っている女の子」に興奮しているのである。このことにご注意いただきたい。
したがって、巨乳平面説は全くの詭弁であり、巨乳志向に反駁しようとした貧乳どもによる小さな抵抗に過ぎない。
世の賢人たちよ、こんなまがいもの理論に騙されてはいけない。
このように、無茶苦茶な理論に騙されそうになったら、まずは物事の本質に立ち返ることが大切である。