セルフ・マスターベイション

例えばヒトが自らの唾液で喉の渇きを癒やすことができれば、それは究極の自給自足と言えるでしょう。
同様に、自分のカラダを異性と見立ててオナニーすることができれば、それもまた究極の自給自足と言えます。

私には、自分のカラダで抜けるポイントが二つあります。


一つは、腰から尻にかけてのラインです。
自分で言うのもなんですが私は華奢な身体をしているので、自分の腰から尻にかけての曲線美はそれなりに魅力的です。

しかし、腰から上の部分は抜けません。
いくら痩せ型の私とはいえ、肩周りは男性のそれです。
ここばかりは男女の性差を実感せざるを得ません。

また、ふくらはぎ以下も抜けません。
男性ホルモンの象徴である、すね毛が生えているからです。
同性愛の気がない私にとって、それは股間の風船をしぼませる要因になってしまいます。

なので、自分のボディで抜く時は、後方斜め下に視線を向け、自らの腰から尻、あるいは太ももまでだけを視界に入れます。
この範囲なら女性のカラダを見ているのと大差ないので、なんとか性的興奮を感じることができるのです。


二つめは、萌え袖です。

萌え袖とは、腕の長さに見合わない袖の長さがある服を着た時に、手全体が露出するのではなく、手のひら部分が袖先に隠れ、指先だけが袖から見えるさまのことを言います。

特に価値のある萌え袖は、女子高生のカーディガンです。
墨汁を零したような漆黒の夜空の下、白い肌の女子高生が雪のちらつく寒空に凍えながら、かわいらしい紺色のカーディガンから細くて白い指をちょこんと出しています。
これは、日本の生み出した最も価値のある美のひとつです。

そんな萌え袖は、私でも一応は再現することができます。

私は腕が長いほうなので、手のひらまで覆うようなカーディガンを見つけることにはやや骨を折りました。
そして、やっとの思いで古着屋で手に入れた紺色のダボダボカーディガン。

袖からちょこんと自らの指先を出し、チンコを握ります。
するとどうでしょう。そこにはまるで、女子高生に手コキしてもらっているかのような光景が広がっています。

初めて見るの? どうかな? まだ、よくわかんないか。

私がそう呟くと、女子高生は興味深げに私のチンコを観察したあと、不器用に手を前後し始めます。
なんだ、初めてにしては上手じゃないか……

亀頭から射出する、白雪と同じ色の生命の息吹。
彼女の黒髪に着陸したソレは、グレースケールの単調な美しさを醸しだすとともに、「シャワー浴びなきゃなあ」という、更なる性の発展を予感させるのでした。


そんな妄想をしながら、今年も秋の夜長はふけてゆくのです。